世界遺産

琉球王国のグスク及び関連遺産群

【琉球王国のグスク及び関連遺産群】は沖縄本土の南部に点在している琉球王国の史跡群を総称した呼び方で、文化遺産として世界遺産に登録されています。琉球の統一国家が動き始めた14世紀終わりから王国がしっかりと成り立った頃の18世紀末に誕生した琉球独特の特徴のある文化遺産です。

グスクとは

グスクは「城」という字をあてて表現されています。世界遺産での登録名も「今帰仁城跡」や「座喜味城跡」などのように使われています。「城」という字を使ってはいますが、同じ世界遺産の姫路城などのような、私たちが想像する「城」とは全く違うものになります。沖縄独自の歴史が、かいま見れるのが「グスク」なのです。

グスク時代

沖縄でグスク時代といえば、貝塚時代が終り、12世紀が過ぎると農耕社会が始まります。この時代がグスク時代と呼ばれるもので、琉球各地の豪族が、お互いが覇者としての権力を得ようとあらそうようになりました。こうしたことが繰り返されるうちに、沖縄本土を軸として、大きな豪族の勢力が作られていきます。各地の豪族達は、自分たちの勢力の維持と、たたかいに備えて城塞を築きました。これがグスクのはじまりです。

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グスクの声

同じグスクでも、調査の結果を見ると統一されていないものだということが分かります。聖域であったり集落であったり、城館だったとする説があるのです。調べれば調べるほど謎が増えるものでもあります。城塞のように、壊れにくくガッチリした造りのグスクは、発掘の際に住居の跡が出てきました。誰の持ち物でどんな人物が住んでいたのかは分からないままです。強い豪族の活動の足場として使われていたグスクは、その規模を徐々に拡大してその機能を充実させていったと考えられています。世界遺産に登録されている各グスクは、城主が指揮をふるって城塞化し、琉球の歴史に名を残しました。こうしたグスクも歴史の流れの中でその役割に幕を閉じます。こうした中でも最後までその名を残したのは首里城でした。長く息づいた首里城は、琉球王朝の豊かに栄え発展する様と、崩壊の歴史が集約されていると言ってもいいでしょう。グスクの声を聞くことができたなら、現在でも謎めいている数々の疑問が解き明かされるのに……と思います。

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世界遺産としての価値

【琉球王国のグスク及び関連遺産群】が世界遺産に登録されたのは、以下のようなことが認められたからです。

1:登録されている資産を形作る数々の記念工作物や遺産は、中国やアジア諸国との文化や経済、政治の交流のプロセスで成り立った、琉球独自に作り出されたもので、日本では類を見ない特異性を持つ事例群であること。

2:グスク跡は、農村基盤の豪族が築いた考古学的にも非常に大切な事例群であること。現在でも崇められる存在であるということ。

3:土木や建築、造園に対して高度が技術を持っていたことが分かり、とくに「玉稜」には優れた技術が認められます。

4:数多くあるグスクの中では、信仰の対象になっているものも多く、ノロと呼ぶ女神を中心に、現在でも祭祀が行われているということ。

琉球王国

琉球といえば沖縄のことですが、1429年の琉球王国の成立から、沖縄県となって琉球処分が行われるまでの450年に渡り、日本をはじめ、中国や東南アジア諸国との外交と交易によって繁栄し、平和で満ち足りた王国を築いてきました。1609年に琉球王国は薩摩藩の支配下に置かれ、明治12年に沖縄県となり、琉球処分がなされました。それからの沖縄県は、歴史に残るたたかいの場にもされ、つらい思いもしてきました。現在では憧れの観光地でもありますが、こうした琉球王国から沖縄県になった歴史の中で、悲しい出来事があったことを忘れてはいけないのです。日本でありながら、南国のような島ですが、観光を楽しみながらもその歴史を振り返ってみてください。

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